変わり者が感じていること

拙い文章ですがお許しください。

「他人」の不祥事に介入する愚かさ

世の中、芸能人の不倫や不祥事など、事あるたびに騒ぎ立てられているけれど。

 

 

僕には本当にどうでもいい。

 

 

仮にその人のことをあなたが大好きで直接応援しに行っていたような人なのであれば少しはわからなくもないのだが。

 

今まで応援していたのに裏切られた気持ちになるもんね。これまで信じて付いてきたのが馬鹿みたいだもんね。

まあちょっとはわかる気もする。

 

 

 

だが大半の人間がそうではない。

 

 

自らの人生にこれっぽっちも関わりが無く、その人物の知名度が高いが故にたまたま付けていたテレビ番組でよく顔を見かけるというだけのもはやアイドルファンにとってのアイドルよりも遥かに遠く、近づく可能性も自分に害を与える可能性もゼロの存在。

言うなればほぼアニメのキャラクターと同じレベルと言ってしまっても良いほどの架空の存在。

それを意気揚々と叩く。

 

 

 

本当に心の底からどうでもいい。

 

 

彼らのことを叩く人間はどういう心境で発言しているのだろうか。

そして発言後に彼らはどういう気持ちになるのだろうか。

 

我を出せて満足する?

世間的に認められている人を下に見れて優越感に浸る?

 

 

幸せだなあ。

 

 

その行為がいかに無意味で不毛かという話以前にそんなことに時間と気持ちを割ける人間が心底羨ましい。

 

よほど代わり映えのない退屈で時間を持て余した生活を送っているのだろうなと容易に想像がつく。

 

僕も自分の全く関係のない人間にそこまで興味を持てるだけの時間と余裕が欲しいよ。

 

 

みんな暇なんだろう。

毎日大手術に追われている外科医にはそんな愚かなことはできないだろう。

 

 

まあ暇なら何をやってもいいさ。それは個人の自由。

見ていて惨めだなあとは感じるが。

 

 

 

 

ただ、僕が最も思うところがあるのはその「叩いている」こと自体ではないのだ。

 

 

何年か前に不倫、薬物、暴行、なんでも良いのだが、そのような不祥事を起こした人物のことをあなたは覚えているだろうか。

泣きながら謝罪会見をしていた彼らが何をしたか、そしてあなたがその時彼らをどのような言葉で罵ったか、覚えているだろうか。

 

 

恐らくほとんどが覚えていないはずだ。

「汚い人間だ。顔も見たくない」「そんな人だとは思わなかった」

そう罵っていたお笑い芸人のネタを楽しみ、スポーツ選手の活躍を応援し、歌手が出したヒット曲に涙する。

 

 

あなたはたったの数年で全てを忘れている。

 

こう言うと「それぐらい覚えているに決まっているだろう」などと熟考した末に反論してくる人もいるのだろうが、ではその不祥事は今のあなたの彼らに対する評価に何らかのマイナスイメージを与え続けているか?

 

少なくとも僕の周りの人間で過去のことを覚えていて、この役者は過去に〇〇をしたからこの作品は観ない、この曲はヒットしているがこの歌手は過去に〇〇をしたから聴かない、などと言っている人間は一人として存在しない。たったの一人として。

 

そして彼らは僕が敢えて先の問いかけをするまで過去にその人物のことを叩いたことすら忘れ去っている。

 

 

 

不倫は気持ち悪いだの薬物を使用していたなんてもう応援できないよ、などという気持ちがいかに刹那的なものか。

 

 

僕は思う。

 

彼らは内容のあることを発言したいのでは無いのだ。

 

生きている中で日頃の鬱憤などを発散するためにカラオケで大声で歌いたくなるように、居酒屋で吐くまで飲みたくなるように、ただ「誰か」を痛めつけたいだけなのではないか、と。

 

本当に誰でもいいのだ。

自分が過激な発言をしてもそれを否定されない、そういう条件下で上司や先輩、気に食わない同僚の分身としてサンドバッグになってくれる相手が欲しいだけなのだ。

 

どこかで自分の感じている正義というものを振りかざしたくて、その言葉を相手が目にすることが無いとわかっていても、倫理的に自分の言っていることの方が彼らの行動より正しいという事実だけで何者かになれたような気持ちになれるのであろう。小さな自分とは違い、彼らは誰かにとっての何者かなのだから。

 

自分自身と全く関係のない場所で起きた出来事でそんなプラスの感情を得られるとはなんと幸せなことか。

その人は自分自身の幸せな度合いを高くしなくても、赤の他人の幸せ度を下げることで自分は彼らが不祥事を起こす前日よりも幸せになれているのだから。

 

 

間違ってはいないと思う。多少のズレはあれこういう理屈であろう。

 

 

つまり、人を叩きたがる人間は極論、世の中に悪が蔓延れば蔓延るほど幸せになれるという計算になる。

なんと皮肉なことか。

 

 

 

僕は自分自身の力で、自分がなりたい方向へ動くことで、真の幸せという感情に辿りつけるような人間になりたいと思う。

 

他人は叩くために存在するのではない。

助け合い高め合うために存在するのだ。

 

一時の感情だけで動くのではなく、将来を見据えてどっしりと構えられるような人間に僕はなりたい。