変わり者が感じていること

拙い文章ですがお許しください。

「変わり者」ができあがるまで

僕の父はとても真面目で教育熱心だったのだが、何事においても言うことが極論すぎた。

 

「1位以外は獲る価値がない」「学業をしっかりしていない人間は、例えプロ野球選手でもプロ棋士でも遊んでいる馬鹿だ」「漫画やアニメ、お笑いなんか見ていると頭が悪くなるぞ」

挙げるとキリがないが要はこういう父だった。

 

僕は物心が付いた頃から常にこのような言葉を聞かされていた。

 

だが、僕は高校を卒業するあたりまでその言葉を物凄い極論でありひねくれている、ということに気付けなかった。

 

何故かというと、父はそのようなことを平気で言う人間なのだが、それは彼の壮絶な人生が大きく影響しているのだと知っていたからである。

 

父は子供の頃から家が極めて貧しく、あまりご飯も満足に食べられていなかったらしい。

そんな中、小学校を卒業する時にそのような環境は自分の努力次第でいくらでも変えられるという教師の言葉に感銘を受け、勉強などしたことも無かった彼は中学に上がるまでに小学生のドリルを片っ端から完璧にこなしていったのだという。

 

そこからは友人との付き合いなどもほとんど断ち、娯楽など無い生活の中で勉学だけに打ち込んだ。

行こうとした大学はかなり学費がかかったようだが両親にはお金を借りることもなく、毎日1食もやし炒めだけを食べ続けて暮らしていたのだという。

 

その結果、父は今は世間的に見ても相当位の高い職業に就き人を助け続けている。

 

 

そんな父の言葉だったからこそ。僕は高校3年生まで自我という物すら必要だと考えたことが無く、勉強する者だけが正義、という洗脳のもとそれに違和感すら感じないまま超進学校で生きていた。

 

もちろん思春期はがっつりあったが塾の勉強でそれどころではなかった。悪い点を取れば父のゲンコツが飛んでくるのだから。

 

前回ブログに書いた僕は学生時代は紆余曲折あり女の子と遊んだことは無かったというのはこのことである。

 

 

僕は過去の父のやり方に今でも少し恨んでいる部分がある。

もしかしたら同じ境遇でも生き方を自分で選べる人間はいるかもしれない。しっかりと自分の意見を持って向き合い父の持つ偏見に真っ向から話せば何かが変わったのかもしれない。

 

ただ、僕にはそれはできなかった。

 

できなかったから、父を、自分を変えられなかったから、僕はずっと辛い思いをしてきたのだ、とどうしても思ってしまう。

 

 

幼稚園のころ、おもちゃを買いに連れて行ってくれていた車の中で急に算数の問題を出され、答えられなかったからと言って即帰宅しその問題をとことん解かせた。

テレビのリモコンをNHK以外選べないように他のボタンをハンダで固定しようとした。

 

こんな父のもとで育った人間はあまり多くはないのではないだろうか。

 

 

もっと自我を持って生きていれば、今大切に思っているものにもっと早くから気づけたのではないかと嘆くばかりである。勉強ができたからなんだ。テストの点なんて机の前で長時間座って勉強していたらどんな人間でも取れるようになるんだよ。そうじゃなくて。もっと大事な、「僕」というものをもっと見て欲しかったし、自分でも気付いてあげたかった。

 

 

 

こう父を恨んでしまうのだが、嫌な思いをするというのは悪いことだけではなくて。

自分が生きていく上で相手に対する接し方としてのひとつの判断材料になる。

 

自分は良しとして話している、しかし相手はそれを望んでいるのか?

父と別れてからそれをずっと考えて生きるようにしてきた。

 

そういう面では「あのようにはなりたくない」と思える反面教師が近くにいたのは少しありがたいことだったのかもしれないと感じる時もあるのだが。

 

 

ただ、たまに感じることがあって。

 

 

僕は、父に似ている。

これだけ嫌がっていて、反面教師とさえ思っている父に、僕は似ている。

 

恐らく「血」なんて話では無いのだと思う。

 

 

昔から細かく注意されてきたこと、叩き込まれてきた礼儀。

 

自分が知っていて守っていることだからこそ、他人が守れていないと腹が立つ。

 

 

電車で騒ぐ子供に対して全く注意しない親がいる。

僕はそもそも子供が好きではないのでまず子供が騒いでいるというだけでかなりストレスではあるのだが。悪いのは子供ではない。

電車の中では大人しくしていなければならない、と躾けない親にこの上ない苛立ちを感じる。

 

あの親はこれからもずっと注意をしないのであろう。

そしてその子供が一人で電車に乗るようになった時、友達同士と電車の中を走り回ったりするようになるのであろう。

 

そのような当然のルールを躾けない親に何度電車の中で注意をしようと思ったことか。

 

 

僕自身がつらい思いをして暮らしてきたから人の悪いところを見てしまうのではない。

当然のことをしない人間に少し敏感になっているのだ。

 

 

人の傘を盗む奴、ポイ捨てをする奴、人をモノのように扱う奴、こういう奴らを見る度にに反吐が出そうな気持ちになるのは、それがいかにやってはいけないことで、人間としての品に欠けるとずっとずっと教わってきたからなのだろうと思う。

 

 

僕はこの点に関してだけは、父に躾けられて良かったと心から思っている。

普通では無いことを平然とやるような人間にならずに済んだ、そういう人間に育ててもらえた、そこは感謝している。

 

こう感じることが増えた。

 

 

 

だからこそ。

 

僕は父の教えが嫌いだ。ああはなりたくないと思っている。

 

だが、嫌いだからと言って全てを否定するのではなく。これからも反面教師として常に頭に入れて生きていくが、間違いなく父が正しかったこと、今の僕に活かされていることは父を認めることで自分もひとつ大きくなれると思っている。

 

 

変わり者の子は変わり者。

 

だが、良いところだけ引き継げば良い。

 

僕は僕の生き方を。