変わり者が感じていること

拙い文章ですがお許しください。

人は何故生きるのか

昔からずっと考えている。

 

人は何故生きるのか。

 

こう言うと僕が自殺志願者だと勘違いされがちなのだが決してそういうことではなく。

でも快速電車が目の前を通過するのを見る時もビルの屋上から道路を見下ろした時も「ああ、いつでも死ねるなあ」と常に思う。恐怖心など1ミリも無い。

 

重ねるが本当に何か人生に絶望しているだとか死にたいなどと思い詰めているわけではない。ただ、その瞬間瞬間に僕は何故ここから飛び出して死なないのか、と考えてしまう。

 

いつからこんなことを考えるようになったのかは覚えていないが、ある時人間の価値というモノに疑問を感じ始めた。

 

僕だけではない。すれ違う人も友人も恋人も家族も、生き続けなければならない理由などはあるのだろうかと思った。

 

もちろん僕は誰の何者でもない。なんて言うとご両親が悲しむよ、とか彼女さんを泣かせても良いの?などと言われそうなのだが。

どうしても僕には彼らの世界から僕が消えようが何かが変わるとは思えないのだ。

 

僕の親はよく面倒を見てくれていたし、たくさんの愛をくれていたと感じてはいる。葬式の日など体内の水分が枯れるほど泣くのだろう、とは思う。

しかし、1週間もすればただただ朝と夜に仏壇に手を合わせるという行為が増えるだけの日常が来るのではないか?

友人などに至っては3日もすれば僕の死のことなど忘れて楽しく飲みにでも行くだろう。

 

こう考えてしまうのは僕だけなのだろうか。僕が変わっているだけなのだろうか。

 

僕は歳の近い人間が亡くなったことはないが、親戚や祖父母の葬式などでも泣いたことがない。死は誰にでも平等に訪れる。運命だと考えるのは軽率すぎるだろうか。

仮に歳も近く仲も良い友人が亡くなったとしても僕は同じように感じる気がしている。

 

さっきもし僕が死んでも誰の人生も変わらないと書いたが、これは僕が周りの人間に対してもそう感じているからでもある。

僕は彼らの葬式でも泣かない。次の日には何事もなかったかのように仕事をし、ご飯を食べ、そいつの死を頭の片隅で思い出しながら感情など全く動かないまま眠りに就くだろう。3日も経たないうちに仕事や人間関係などの悩みでそいつのことなど頭から無くなっている自信しかない。

 

世間的に何者かになっているわけでもない彼らに対してもそう感じるが、例え国を動かすような人間や人の命を救う人間でも同じように感じる。

彼らの代わりなどいくらでもいる。

 

いつからか、ずっとこんなことばかり考えている。

 

僕は薄情者なのだろうか。

 

 

 

少し話は飛ぶのだが、僕は5年ほど前にあるセミナーに参加させてもらった。

 

それはセミナーなどと堅苦しい名前は付いてはいるが中身は極めて単純で、参加者がその時に感じていることや悩んでいることなどを紙に記入し司会者に渡す。そして順番にその悩みなどに関して全員で自分の考えなどを出し合っていくというものだった。

ただただ物事を議論したい人間が集まっている、というあまり僕は経験したことのない空間だったのをよく覚えている。

 

何故僕がそこに参加することになったのかはよく覚えていないのだが、確か顔の広い友人がお前は面白いやつだからとその場に連れて行かれたのだと思う。

恐らくその頃には平気でこのような世論と外れた持論をダラダラと展開する変わり者に成り果てていたのだろう。

 

そこで他の参加者が提示していたものは「朝起きるのが苦手だ。どうしたら1回のアラームで起きられるようになるか」や「皆さんが心がけている日頃の行いを教えてください」などごくごくフツウのものだった。

 

そんな中僕が書いていたのが「人は何故生き続けなければいけないのか」だった。

 

周りを見るとクソ真面目に書いた自分が恥ずかしくなってしまうほど場違いで重い話題ではあったのだが、このような話題をそこまで大っぴらに話せる機会など無かったし、これから先の人生でこの人たちと再会することは無いだろうという思いから全員の意見を深く聞いてやろうと思った。

 

しかし聞いても聞いても返ってくるのは教科書に載っているようなことばかりで。

 

「親御さんはすごく悲しむわよ?」「生とは奇跡なんだ。その奇跡を捨てるなんてもったいない!」「御先祖から続いている血を絶やすのは良くないと思うなあ」

 

 

そんな教科書通りの答えをを待ってるんじゃないんだよ。

 

 

僕は望んでこの世に産み落とされたのでは決してない。親が自分たちが子供が欲しいからと勝手に作り出したモノにすぎない。

この世には辛いことも苦しいことも山ほどある。ごくまれに嬉しいことや楽しいこともあることは認めるが、僕はその一瞬のためだけにこの世界に居続ける必要性をこれっぽっちも感じない。その瞬間のためだけに嫌味な上司に愚痴られながらやりたくもない仕事をこなし、クタクタの体で家へ帰り食事を流し込んで翌日の仕事に向けて体を休ませる。

こんな「日常」に存在し続ける価値などあるのか?

 

 

彼らの答えでは到底それを覆してもらえそうになかったので、はいはい死んだらダメですよねー、いやーやっぱり命って大事ですよねー、と胸糞悪いキレイな「正解」を吐き出して帰ったのだが。

 

 

 

僕が圧倒的に少数派であるという自覚はある。だが決して間違ったことを言っているとは思わない。

 

 

僕がぶつけた疑問に対する答えがそれしか出ないようなら生まれてからその地に根付いた宗教や慣習にただ習っているのと何ら変わりはない。死んではいけない理由どころか自分が生きる理由やこの世界に居る意味など一切考えたことが無いのだろうとしか思えないのだ。

命を授かることが奇跡であるならば、何故その奇跡があなたに起こったのかを考えずにいられるのか。

 

自分が生き続けることに何の疑問も持たず、何の迷いもなくその歳までフラフラと生きていられていることに少し羨ましさすら感じた。

 

 

僕もそんな風に何も考えずに生きてみたいよ。

 

 

あなたには生きる理由はありますか?

死んではいけないと思う理由はありますか?

 

 

僕には無い。

 

 

最初にも書いたが、決して僕は何か今特に辛い思いをしていたり過去にトラウマがあったりするわけではない。ただのフツウの人間だと思っている。もちろん自殺願望があるわけでもない。

 

ただ、人間が生きなければいけない理由が見つからないだけなのだ。

 

僕の代わりなどいくらでもいる。それは多分これを読んでくれているあなたにも言えることだ。

 

生きる理由は無い。死んではいけない理由もない。

 

 

 

では、何故人は生きるのか。

何が人を生かしているのか。

 

 

僕は死ぬ瞬間までにはこの問いに対する納得のいく答えを見つけたいと思っている。

 

まあ、その瞬間が来るのは明日なのかもしれないけれど。